TOLEDOの由来

 「トレド」の名称は、スペインの古都「トレド」(TOLEDO)より採用させて頂きました。

 トレドは、日本で例えると「奈良」のような古都ですが、その歴史の長さは比べ物になりません。
 現在スペインの首都はマドリッドなのは皆様ご承知の通り。しかしながら、16世紀まではトレドが首都でした。当時はスペインの中心地として栄え、交流も盛んで文化も非常に発達していたそうです。いまでも中世の面影がそのまま残っている美しいトレドの街は、1986年に古都トレドの名で街全体が「世界遺産」に登録されています。
 当時、ヨーロッパの都市は街全体を城壁で囲むなど、軍事的「防衛」に重点を置いた設計がされており、トレドの街も例外ではありません。トレドの東・南・西には街を囲むようにタホ川が流れており。東・南・西は川によって守られています。ちなみにタホ川は数十メートルも谷底を流れており、断崖絶壁は登るのにとても苦労しそうな天然の城壁です。川が流れていない街の北側からはマドリッド方面に行けますが、こちらも地形をうまく利用した強固な城壁に守られています。
 トレドは山奥と言うわけではなく、どちらかと言うと山のすそ野に位置し、すぐ北側は豊かな平野部であるため、農業も商業も便利そうな立地で、そのような特色から長年栄えたようです。
 15世紀に建築された教会「カテドラル」はスペイン・キリスト教のカトリック総本山であり、今でも国内の教会すべてに影響力を持っています。大航海時代のスペイン繁栄を物語るように、建物の中は「金」をふんだんに使った装飾で大変見事です。
 他には、現在、戦争博物館として公開されている「アルカサル」、世界3大巨匠と言われるエル・グレコの住んでいた家と彼の最高傑作であり、世界3大名画と言われる「オルガス伯の埋葬」を展示公開している「サント・トメ教会」などがあります。カテドラルにはエル・グレコの「聖衣をはぐ人」やゴヤ、ルーベンスなどの絵画、宝物室の「アルフェの聖体顕示台」が見ものです。アルカサルは、かつてのスペインの市民戦争の舞台となった所であり、いわゆる要塞となっており、ここに行くと市民戦争時代に武器が当たった傷痕などが生々しく残っている事に気付きます。
 現在のスペイン首都マドリッドからは、高速道路で約1時間の距離。マドリッドから半日の観光ツアーも多数あります。マドリッドにお立ち寄りの際、是非足を伸ばしてみて下さい。きっと気に入って頂けると存じます。 

 

■スペインのトレドの歴史

 トレドの街は、紀元前に南・西・東の三方をタホ川に囲まれ、切り立った花崗岩の岩山の上に築かれました。
 正確にいつ頃から街があったのか? わかっていないそうですが、一番古い文献によると、紀元前192年(日本は弥生時代・中期)にローマ人がイベリア半島を征服した際、トレトゥム(Toletum)と呼ばれたのがその名の起こりと言われています。西ローマ帝国の滅亡後、6世紀の半ばに、イベリア半島の混乱を平定した西ゴート族(西ゴート王国)がトレドを都にしました。
 589年、国王レカレドがカトリックに改宗し、これを国教とした為、先住のローマ系市民と西ゴート族の溝が消え統一することになりました。
 712年、北アフリカからジブラルタル海峡を渡って来たイスラム勢力はトレドを征服し、トライトラ(Tolaitola)と呼び、イスラム教徒支配下にユダヤ教徒とキリスト教徒と3つの異なる宗教徒が共存すると言う奇妙な時代がきましたが、平和的に約370年間続くことになります。
 1085年スペイン・キリスト教徒による、レコンキスタ(スペイン国土回復戦争)によって、長い戦いの末、キリスト教徒が盛り返し、トレドを征服。アルフォンソ6世の治下となりました。異教徒に寛大だった王のもと、今度はキリスト教徒支配下に、イスラム教徒、ユダヤ教徒と3教徒が平和共存しました。このように異教徒が共存した結果、現在のトレドが世界遺産にもなる素晴らしい文化的な街並みになり、16世紀になると統一されたスペイン帝国の首都として栄えました。
 異教徒同士が仲良く生活するという、現在の中東でも見習って欲しい平和共存です。
 カトリック女王イサベル(Isabel la Catolica)は1492年、イベリア半島最後のイスラム領域であったグラナダを占領し、国土再征服することに成功しましたが、この時ユダヤ教徒とイスラム教徒はトレドから追放されたようです。この年コロンブスがアメリカ大陸に到達しています。
 女王の死後、後を継いだ次女ファナ(Juana)の死により、ハプスブルグ家の血を引く僅か16歳の王子カルロス(Carlos)が、フランドルから呼び寄せられたことによって、皆様ご承知の通り無敵のスペイン艦隊など、軍事的にスペイン帝国が優位にたち、イベリア半島だけに留まらず、発見されたばかりの新大陸、ブルゴーニュ、ナポリ、シシリア、サルデーニア、フランドル、ドイツ、オーストリアへと領土拡張されました。当時、世界の覇者とも言えるスペイン帝国の都「トレド」で使われた皇帝カルロス1世の双頭の鷲の紋章(エスクード)は今でもスペインのシンボルマークとして使われています。
 世界最強スペイン帝国の首都としてトレドはおおいに栄えましたが、カルロス1世の退位後即位した子のフェリペ2世(Felipe U)は1561年、首都をマドリッドに遷都。トレドは政治・経済の中心としての立場を失いますが、トレド司教座はスペイン国内・カトリック寺院の総本山としての地位を現在も保っています。
 トレドでの異文化の融合は様々な様式美の建造物をつくり出し、ムデハル様式を発展させ、有名な巨匠グレコなどを生む結果となったそうです。
 ムデハル様式のアルカサルは1277年、フェルナンド3世の治世に、イスラム教の大モスクのあった場所で建造が始まり、1493年に完成しました。教会の中は大量に使われている金による装飾は見ごたえがあり、当時の繁栄を思い浮かばさせます。(鎌倉時代の日本と大違いです。)
  トレドに多く存在したユダヤ人教会(シナゴーグ)で現存するものは、14世紀に建てられたトランシト教会と12〜13世紀に建てられたサンタ・マリア・ブランカ教会の二つしかありません。

■スペイン・トレドへの行き方

 観光する時間を入れても往復3〜4時間程度と比較的短時間でマドリッドから訪れることが出来きます。
 現在の首都マドリッドからトレド旧市街ソコドベール広場まで、高速利用でバス約1時間。(65km)
 また、スペイン国鉄(RENFE=レンフェ)で途中乗換てトレド駅まで約1時間。そこから旧市街のソコドベール広場まではバスかタクシーで約5分。このソコドベール広場からは、首都マドリードや近郊に向かうバスがたくさん出ています。広場には案内所も設けられ日本語も含め各国語の地図・案内書が用意されています。旧市街地の散策は徒歩で充分です。
 不慣れな方は、マドリッドのホテルなどで申込できる「日帰りバスツアー」に参加されると良いでしょう。なお、日本の旅行会社が主催する、添乗員付きスペインツアーでは、そのほとんどがトレドを訪れると存じます。
 トレドの良さは、行かないとわかりません。機会がございましたら、是非1度訪れてみてください!

■その他トレド(スペイン)知識

 13〜15世紀の間、キリスト教の軍事力、イスラム教徒の農耕・灌漑・建築・工芸の技術、ユダヤ教徒の科学・医学・国際的な金融感覚が一体となって、高い文化水準が維持された経緯もあり、今もトレドでは絹・毛織物工業、陶業が行われ、柔軟かつ強度のある刀剣やダマスキナドと呼ばれる金銀象眼細工が有名です。旧市街の中にはお土産用に刀剣などを売る店も多いです。ただし、刀剣は日本に持ち込むと銃刀法違反になる可能性がありますのでご注意を。
  意外と知らない日本人が多いのですが、ピカソの出身はスペインのアンダルシア地方の都市マラガで1881年に生まれ、10歳のころまでをスペイン国内で過ごしています。
 現在スペインでは教育の適性を求めて段階的に新しい制度が導入されており、幼児教育は1歳から6歳までと、なんと1歳から国の方針で教育を行っています。日本も是非スペインに視察団を送るべきです。義務教育は、初等教育の6年間と中等教育の4年間です。高等教育は二課程に分かれ、卒業後大学に進学する二年間の高校と、職業学校(卒業後、技術専門学校に進学、大学進学も可能)があります。教育は国家繁栄の大原則です。
 日本の姉妹都市は、古都「奈良市」です。昭和47年9月11日、トレド市で調印式が行われました。
 食事はニンニクとオリーブオイルで味付けしたものが多く、市場にはアジ・イワシ・ヒラメ・タイなどが並び、魚貝類を中心とした料理も多く、日本人の味覚にも合い、スペインは、日本についでの世界第2位を争う長寿国であることに納得できます。地中海産の本マグロも日本に輸出されています。ただ、スペインでは生で食べる習慣が無いため、ピンク色の大トロも茹でてしまうのが見ていて残念。
 物価は日本に比べて安いです。宿泊費は3つ星ホテルで80から150ユーロ、ペンションだと15から30ユーロほど。食費は、高級レストランでフルコースを食べてもだいたい30から50ユーロ、庶民的な店なら6ユーロ程度で定食が食べられます。スーパーで買い物すると、コカコーラ350m缶は日本円で約40円。
 地中海沿岸は気候が温暖で、スペインは物価も安く、医療体制も比較的整っており安心と、定年退職した日本人の方も多くスペインで生活しています。国籍は日本のままで、スペイン南部に住宅を借りるなどされています。滞在ビザが切れたら日本に戻り再申請が必要ですが、日本で支給される年金で充分生活できるそうです。

■スペイン知識おまけ(コロンブス)

クリストファー・コロンブス 1446?-1506年
スペインの王家に仕えたイタリアの航海・植民地行政者
1492年アメリカ大陸を発見し、ヨーロッパの新大陸進出の先駆となった。イタリア・ジェノバ生まれと言うが、前半生は明らかではない。1478年からポルトガル海図作成に従事。フィレンツェの天文学者トスカリネリに影響され、東方航路は大西洋を西航することで可能であると主張、その大西洋横断によるインドへの航海計画は当時東方貿易のための新航路を求めていたスペイン女王イザベラの援助を受け、実現に移された。
セビージャ(セビリア)の大聖堂(カテドラル)にコロンブスの墓がある。

コロンブスのたまご
コロンブスは1493年に帰国すると、バルセロナの宮廷で盛大な歓迎式典の招かれたが、皆がみな彼を賞賛したわけではない。『誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。当たり前のことだ』といて、水を差す人がではじめた。その時、コロンブスは卵を指し示し、『誰かこの卵をたてることが出来る人はいますか』と謎をかけたのである。何人かが挑戦してみたが、誰もたてることは出来ず、しまいには怒り出す人が出る始末である。コロンブスは卵を引き寄せ、テーブルで軽くたたいて卵を立てて見せたのである。これがいわゆる『コロンブスの卵』といわれる出来事であった。
だれでもできそうなことでも、最初に行うことはむずかしい 
と言う逸話である

■TOLEDO What's NEW


 1996.05 個人事業システムネットを開業しました
 1996.06 旅行者情報サービスの提供開始
 1996.07 NiftyやASAHI-NETパソコン通信による情報提供サービスを開始
 1996.08 チケット情報サービスを開始・Yahoo会員よりも早くプレミアム会員と言う会員名称で会員サービスも開始
 1996.12 インターネットによる情報提供サービス開始
 1997.01 ホームページ制作サービス開始
 1998.05 情報配信用メールマガジンの初創刊(まぐまぐ) ※殿堂入りのメルマガ3誌
 1998.06 インターネット広告サービスに開始
 1999年前後. インターネット関係の雑誌などで当方の各種HPなどが約163誌紹介されました
 2000.04 情報提供・広告・制作サービス部門を株式会社明響に移行
 2001.01 有限会社トレドを東京都中央区の日本橋で法人登記
 2001.05 財団法人日本SOHO協会正会員認定
 2002.01 日本橋法人会会員認定
 2003.03 株式会社明響の廃業に伴い、情報提供・広告・制作サービス部門が復帰
 2004.12 フランス・パリ買い物代行サービス共同参加
 2005.04 インフォストアのクレジットカード決済一部導入 ※2009年、インフォストア側のサービス終了に伴い現在は終了
 2005.10 ショッピングカートシステム一部に導入
 2005.11 各種フォームをSSL暗号通信に改良
 2006.01 独自検索エンジン運用スタート、アフェリエイト導入
 2006.02 RSS配信をHP表示無料配布、アクセス登録サーチの2事業スタート
 2006.03 東京都中央区の日本橋事務所を本社(神奈川県相模原市中央区)に統合開始 (2006.8完了)
 2006.05 googleページランク5のサイトの広告募集開始
 2006.08 アメリカebayオークション代行開始  ※アメリカ側受入契約終了に伴い現在は休止
 2006.09 総合検索エンジン2種類開始
 2006.10 日本の歴史検索エンジン開始、検索エンジンの検索エンジン開始
 2006.11 無料オンラインゲーム提供開始
 2007.07 パソコン便利屋事業開始、便利屋専門検索エンジン開始
 2008.01 インターネット広告事業を全面改定し、格安インターネット広告サービスを開始
 2009.02 インターネット検定サービス開始
 2010.05 有限会社トレド解散に伴い、個人事業TOLEDO が継承(一部)


イベリア半島のスペイン
簡単に自己紹介

 1996年に創業した際は、インターネット通信はまだ使用料が高く、通信回線費用以外に、プロバイダ費用が月額15000円必要と言う時代でした。その為、当初はニフティーやASAHI NETのパソコン通信を使用して情報配信致しておりました。
 そんな時代から個人事業と言う方法で開始し、現在に至っておりますが、大所帯の法人ではできないような、お客様の立場に立った運営・管理、きめ細かくて親切丁寧な対応を心掛けております。
 1人で運営致しておりますので、ご迷惑をお掛けする事もあるかと存じますが、責任を持って対応させて頂いております。是非、ご利用・ご用命賜りますと幸いです。